ベトナム旅行 '14 その1 ベトナムという国  

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2014.06.19から2014.06.22に行ったベトナム社会主義共和国、ホーチミンシティでの旅の思い出を各テーマごとに備忘録として綴っていこうと思います。

まずベトナムという国について書いておきます。
長くなりますが、これを最初に書いておかないと始まりませんし、書いておかないとただポンビキに絡まれに行っただけのように思われますので(爆)。







公用語:ベトナム語
首都:ハノイ市
最大の都市:ホーチミン市(旧サイゴン)



私がベトナムから連想するものというと、

中学生の時に見た映画 『地獄の黙示録』。
ベトコン。
小学生の頃にニュースで見たボロボロの船に満載されたボートピープル、ベトナム難民。
ニョクマムという魚醤。
ドイモイ。
小さい馬に子供の騎手が乗るフートー競馬場。
そして、ベトちゃん、ドクちゃん。



年代を追って書きます。

■仏領、インドシナ
インドシナはフランスが占領し植民地としていた東南アジアの地域をいい、今のベトナム・ラオス・カンボジアにあたります。
インドシナは1887年に成立し、1954年のジュネーヴ協定でベトナムがフランスから独立するまで存在しました。

今回の旅行に際し、カトリーヌ・ドヌーブ主演の 『インドシナ』(仏/1992年) という映画を久しぶりに見直しました。
映画の中で登場する子供の成長を見ると、話は第二次世界大戦前から始まっているはずなんですが、この映画ではどちらかというと恋愛映画色が強いですしフランスが作った映画ですので、都合のいいように話を端折ってあり日本軍は出てきませんし、ベトミンとフランスが戦った 第一次インドシナ戦争 の話も出てきません。
『共産主義=悪者』 ということしか描かれておらず、なぜジュネーヴ協定に至るのかがわかりません。
そして話の舞台は山地のゴム園ですし、後半は北部のハロン湾が中心ですからサイゴンはあまりでてきませんね。


■なぜ北と南に分かれた2つのべトナムが存在したのか?
第一次インドシナ戦争は、第二次世界大戦の後、1946年から1954年にベトナム民主共和国の独立をめぐってフランスとの間で戦われた戦争。
ジュネーヴ協定は、その第一次インドシナ戦争を終結させるために1954年スイスのジュネーヴで開かれた和平会談によって合意された休戦協定です。
ジュネーヴ協定でフランスがベトナムを去り、代わりに入って来たのがアメリカ。

東西冷戦の時代、ベトナムは南北に分裂します。
簡単にいうと、中国、ソ連の後ろ盾が北ベトナム(ベトナム民主共和国)=共産主義。
アメリカの後ろ盾が南べトナム(ベトナム共和国)=反共産主義。

そしてベトナム統一をめぐって南北が競い合い、北ベトナムがゲリラを送りベトナム戦争
(第二次インドシナ戦争)に発展して行きます。


■ベトナム戦争
ベトナム戦争を描いた映画はいろいろと、見ましたがやっぱり初めて見た 『地獄の黙示録』 は強烈でした。
混沌としていて、後半のマーロン・ブランドの部分は中学生の私には理解できませんでした。
実際に日本人が目にするベトナム戦争の映画は、アメリカ人が作ったものがほとんどで、実際はどうだったのか?

理解する上で非常に役立ったのが 『ベトナム戦記』/開高健著 でした。

作家の開高健さんが、アメリカ軍の従軍記者となって当時のサイゴン、最前線の様子を綴ったものです。

フランス軍と戦うベトミン兵となった銃の持ち方もわからない農民に、撃ち方・扱い方を教え、帝国陸軍の戦い方を教えた元日本兵の話。
ベトナムに第二次世界大戦の戦後補償でダム・水力発電所を作り、サイゴンまで電線を引いた日本のゼネコンの話。
等々、今まで知らなかったことがたくさん書いてありました。

ですが、第二次世界大戦でフランスがドイツに占領され、それにより同じ枢軸国軍であった日本がベトナムに進駐した話は書かれていません。


ベトナムは共産党の国なので、こういうプロパガンダポスターはたくさん目に入ります。
左のカラシニコフを肩に掛けた女性兵士のほうがベトナム統一39周年。
右の花束を高く掲げたほうがベトナム独立60周年。


たぶん学校の外壁なんでしょうが、ホー・チ・ミンがなんとかかんとかと書いてあるんでしょう。


これもベトナム語がわからないので、さっぱりわかりません。



■ベトコンはコミュニストなのか?
ベトコン は、Vietnamese Communist の省略であり、正確には南ベトナム解放民族戦線、NLF(National Liberation Front)。
南ベトナムをサイゴン政権・アメリカからの『開放』と、ベトナム民族の統一を掲げた組織です。

開高さんの本にとると、実際にはコミュニスト(共産主義者)は最低で1%、2%、最高で30%ということです。
アメリカ軍に家、田畑を焼かれ、不平不満を口にするとデモ・暴動を誘導したとして銃殺刑にされる。
その結果、農民が共産主義の意味もわからないままベトコンに走る。

今日、同じ南ベトナム軍の軍服を着て一緒にベトコンと戦った仲間と、1ヶ月後は黒いパジャマのような服とゴム草履でカラシニコフを抱えてた格好で戦うということがザラにあったそうですね。


未だにテレビ等のBGMで間違った使われ方をするブルース・スプリングスティーンの『Born In The U.S.A.』。
「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」 と何度も叫ぶ場面が印象的でしょうが、こういう歌詞なんですよ。

俺はこの町で小さな問題を起こし
彼らは俺の手にライフルを握らせ
外国へ送り込んだ
黄色人種を殺すために

俺の兄貴はケ・サンでベトコンと戦った
彼らはまだ生きているが、兄貴はもういない
兄貴の好きな女がサイゴンにいた
彼女の腕に抱かれている彼の写真だけが残されている


決してアメリカ万歳という詩ではないんです。


■ベトナム難民はなんなのか?
私が小学生だった頃、テレビのニュース番組でボロボロの船に人がたくさん乗った映像をよく目にしました。
ベトナムから脱出したボートピープルです。

ドイモイ、ベトナム語で『刷新』という意味です。
日本では経済開放政策と伝えれることが多いですね。
この1986年に導入された政策の最大の功績は、それまでの社会的不条理から人々を解放したことなんだそうです。

社会的不条理とは何か?

ベトナム戦争の後、北側(現政権側)が行ったのが、統一以前に北側の人間であったのか、南側の人間であったのか常に明らかにすること。
南側の人間であったとされた人は、本人はもちろん、その子供も進学や就職などあらゆる面で不利な立場に追いやられ、能力があっても社会的な出世は望めなかった。


こうしたベトナムの人々が将来を絶望し国を捨てたのがベトナム難民、ボートピープルなんだそうです。
ドイモイは、まず最初に、すべての公式文書から「北側か、南側か」という記載を抹消し、これが変化の始まりだったんだそうです。

出典:『競馬があるから旅に出る』梅崎敏彦著 (第3話 ベトナム、ドイモイが甦らせた競馬)


ベトナム人ガイドの人に、『ベトナム戦記』 に書いてあった、
ベトナム人は3種類あり、北の人は勤勉で真面目、南は温厚な性格で、中央部の人はその中間の性格。
そして、中央の人は海と山に挟まれて土地が小さいのでケチ。
『木彫りの魚を見ながら飯を食う』くらいに。


という話をしたら、 「なんでそんなこと知ってるの?」 と笑いながら頷いてました。
ちなみに、ガイドの人はハノイ出身(北ベトナム)の1971年生まれの女性でした。

また、『チョ~イ・ヨォ~イ』 と言うとウケてましたよ(笑)。
意味は、オーマイゴッドです。

会社に例えると、会社に対して不平不満等の文句を言ってデモを始めるのが北の人。
何をやっているかもわからず、ビラを配るのが南の人。
そして首を切られるのが南の人で、会社に残って出世するのが北の人ということです。
中央部の人はやっぱりその中間。

北が共産主義になった理由がわかる気がします。


以上のようなことを自分なりに理解して出かけたわけですが、今回の旅行は今のベトナムを見たくて行ったので、戦争証跡博物館で生々しい死体の写真やホルマリン漬けの胎児は見たくなかったし、ベトコンが掘ったクチの地下道も見に行こうという気にはなりませんでした。

ですが、ツアーに 『統一会堂』 の見学が含まれていたので、それは行きました。
ベトナムの負の遺産ですね。

今は『統一会堂』と名称が変わっている南ベトナム時代の大統領官邸です。
正面ロータリーの左側には、北ベトナム軍のソ連製のT-62戦車が2輌おいてありました。


また、2階の会議室の屋根にはアメリカ軍の緊急時脱出用のロイコイ(ヘリコプター)がおいてありました。


これは比較的新しく見えましたし、当時のものではないでしょう。
塗装も簡略化されているように思えました。

大統領の居住スペースには狩りで仕留めた動物の頭骸骨と尻尾が壁に掛けられていました。
尻尾があるのは、『徹頭徹尾』の意味らしいです。


会議スペースと遊興施設が混在していました。


この地図は、米軍が枯葉剤を撒いた箇所を示しているんだそうです。


ガイドの人は仕事とはいえ、何もわかっていない、聞いたとしても右耳から左耳に抜け何も残らない、悲しい過去の前で笑顔でピースして写真を撮る日本人に解説なんてしたくないでしょうね。
このピースサイン、日本人は撮影時のポーズとしてしているだけで、ベトナム戦争に対する反戦運動が発端となった 平和を祈るサイン としてしているわけじゃないですからね。
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category: ベトナム・ホーチミン'14

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コメント

なんだか

なみなみならぬベトナムへの思い入れがあるんですね。
勉強になります。

ベトナムというとやっぱり子供の頃の「難民」の
イメージが強いですね。なんのこっちゃ背景は
判りませんでしたが、とにかく戦争でたいへんな
国なんだなあとそのころは思ってました。

スプリングスティーンの歌詞が出てくるあたり、
濱田屋さんらしいし、プロのジャーナリストが
書いた記事みたいです。(笑)

へてきち #- | URL
2014/06/30 12:52 | edit

■へてきちさん。

ありがとうございます。
本を出版したら買ってくれますか?(笑)。

ベトナムを知る丁度よい機会だったので調べてみました。
子供の頃からわかなないままだったものが少しはわかりました。

次はカンボジアですかね。
ポル・ポトとか赤いクメール、シハヌークとかがわからないままなんです。
『カンボジア=アンコールワット』ばかり注目され、ベトナム戦争と同時期のカンボジアの内戦は、語られませんね。
映画『キリング・フィールド』も見たし、原作も読んだのですが、よくわかりませんでした。
子供への洗脳教育、ポル・ポトの虐殺、そしてベンツのエンブレム。
もう一度やり直しです。
やっぱり行くしかないかっ!

濱田屋 #YowB97Mg | URL
2014/07/01 00:09 | edit

勉強になりました。
私のイメージはランボーでしたから(笑)
裏の話のUPをお待ちしております。

ラム #- | URL
2014/07/01 06:45 | edit

■ラムさん。

『ランボー / First Blood』は、Born In The U.S.A.の主人公と同じで、社会に受け入れらないベトナム戦争帰還兵の話なんですが、個人的に映画のラストは原作から変更をせずにトラウトマン大佐がランボーを撃ち殺して終わりにしておけばよかったと思います。

だってランボー2以降は、主人公がジェン・J・ランボーではなく、シルベスター・ランボーですからねぇ。

ちなみに旅行ガイドの女性は、ランボー2の現地連絡員のコーより美人でしたよ。

裏話は、ここに書ける範囲というと、かなり限定された内容になすます(爆)。

濱田屋 #YowB97Mg | URL
2014/07/02 00:52 | edit

ランボー2の現地連絡員のコーより美人でしたよ。

この一行でもう今日はベトナム一色ですから(爆)

ラム #- | URL
2014/07/02 07:05 | edit

■ラムさん。

しかしですねー
ホーチミンは、日本人というか私好みの女性は少ないかなぁ~
そう思いましたよ。

タイやフィリピンのほうが多い?

行ってないからわかりませんけどね。
日本でもそういう夜の店は行きませんけど。

ベトナム女性より、タンクトップの欧米旅行客のほうが気になりました(爆)。

濱田屋 #YowB97Mg | URL
2014/07/02 07:35 | edit

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